源氏物語コラム(桐壷4)野分けだちて

「野分だちて・・」この部分は非常な名文です。よく教科書などにも採られているので、ご存じの方も多いと思います。「野分」と言うと、源氏物語の巻の名前と同じなので、「野分だちて」の部分と言っておきます。

 今まで帝と更衣の愛を時間軸に沿って述べてきた文章が、二人の別れの場面の次に、ここで、ある一晩の描写に移ります。これだけでも、この部分の特異性がわかるでしょう。

 更衣亡きのち、宿に下がった皇子のことを、また、このような秋の夜の更衣との思い出に耐えかねて、帝は靭負の命婦という女官を更衣の宿(実家)に遣わします。「野分」というのは秋の台風のような強い風の吹く天候のこと。「野分のようだが、里にいる皇子は大丈夫だろうか」帝の心配は尽きません。命婦も、お側近くにいますから、帝のそんな思いをよくわかっています。ですから帝のお使いとして更衣の里に行くのですが、そんな人選にはもう一つ帝の心遣いがあります。命婦の方が少し年下かもしれま線が、更衣の母と命婦は顔見知りなのです。更衣が生きていた頃、宮中に上がった母君が命婦と親しくなったのでしょうが、年頃もそんなに違わなかったのかもしれません。

 更衣の母は夫の大納言亡き後、その遺言に従ってしっかりした後見のないまま入内させたのですが、そのために娘も、今で言えば「いじめによるストレス死」とも言える死を遂げてしまったのですから、今はすっかり気落ちし、今までは娘のために「後家のつっぱり」で頑張っていた屋敷の手入れも怠り、庭は草ぼうぼうになっています。庭の様子からだけでも、命婦はそれを察します。情景から人の精神状態、ひいては経済状況、社会的評判などまで想像させる描写力には感嘆するしかありません。

 プライベートとはいえ勅使なのですから、御殿の南正面(これは普通の客たちは使いません)に牛車を直接つけて、降り立つ命婦は、かしこまる母君の様子を見て、言葉も出ません。ともかく二人の婦人は涙にくれます。やっと、命婦は前にお使いにきた典侍(これも女官です)の悲しい報告を言葉にし、それから(多分)形をあらためて、帝の伝言を伝えます。その主旨はただ一点、「皇子を連れて参内してくれないか」。命婦はその仰せごとを伝えながら、帝の様子も伝えます。「咽び泣きながら仰るのですよ。全部お聞きするのも辛く、はいはい、わかりましたと言って参りました」。それから帝のお手紙を差し出します。

 母君は帝の皇子を思う文を涙ながらに拝見します。そして「私はよう参内いたしませんが、このように不吉な身に皇子様をいつまでもお世話しようとも思いません。でも、娘へのご寵愛が今となっては帰ってお恨めしくも」と、愚痴も出てしまいます。返歌を持って命婦は再び宮中へ。帝は彼女の帰りを待って、まだ起きていらっしゃいます。それを見ても、命婦はまた、帝の傷心を思って同情するのです。

ようコラム(田中洋子)

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