仮名手本忠臣蔵:6段目「勘平切腹の場」・朗読 田中洋子

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仮名手本忠臣蔵

朗読:田中洋子

解説

 12月14日はいわゆる忠臣蔵の討ち入りの日です。昔は往年の映画をテレビで放映したりして、日本人ならお馴染みのもおがたりでしたが、最近ではどうでしょうか。
 事件そのものについては歴史の本を見ていただくとして、朗読しておりますのは2台目竹田出雲らの合作になる人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」6段目「勘平切腹の場」です。早野勘平は主君の大事のおり、腰元のお軽と密会していたため、知らせが遅れ、それを咎められて敵討ちの連判に入れてもらえません。なんとか上司の口利きで用意金を用立てることで、仲間に加えられることとなりました。金の捻出に苦慮する勘平を見かねて、実家に身を寄せていたお軽は我が身を祇園に売ります。その金を持ち帰る途中の父親・与市兵衛は悪人・小野九大夫に殺され、金を奪われます。その悪人を猪と間違えて撃った勘平は、人殺しに仰天しつつも、懐の金を奪います。これで連判に加えてもらえると金を届けた帰り、実はその金はお軽を売った金であり、殺したのは舅与市兵衛だったと、責められます。そこで・・・という愁嘆場。
 武士の一義とお軽への愛、舅へのすまなさがどうしようもない嘆きとして語られます。やがて、この殺人が5回であったことがわかり、死にゆく勘平は一味の連判に名を乗せらることになります。
 お軽のその後は有名な7段目「祇園一力茶屋の場」として語られます。今でも、祇園の一力では「義士祭」を行っていますが、本当は一力は芸者遊びの茶屋なので、遊女はいなかったそうです。

一つ忘れました。

 勘平の台詞に「イスカの嘴の食い違い」とありますが、調べていただくとわかると思いますが、「イスカ」は鳥の名前です。虫を取るために嘴がぴったり合わないようになっています。それを「食い違い」の喩えに用いたのですが、このセリフがすっかり有名になったため、人々の口から何かと漏れるようになりました。
 浄瑠璃や歌舞伎の台詞というものは、このように、庶民の口の端に乗って、膾炙していったのです。江戸人のボキャブラリーはこのようにして豊かになっていったのですね。
 テレビやメールの普及した今、私たちのボキャブラリーは豊かになっているでしょうか

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