伊勢物語 24段

朗読:田中洋子
原文PDF作成:杉山優花
現代語訳・解説:田中洋子

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現代語訳
昔、男が片田舎に住んでいた。その男は、宮仕えをしに、別れを惜しんで行ったまま、三年帰って来なかったので、(女は)待ちわびていたが、たいそう丁寧に(結婚しようと)言ってきた人に「今晩、結婚しましょう」と約束したその日に、この(前の)男が(帰って)来たのだ。「この戸を開けておくれ」と叩いたけれど、開けないで、歌を読んで、外に差し出した。
   あらたまの年の三年(みとせ)を待ちわびて
        ただ今宵こそ新枕(にいまくら)すれ
    (三年あなたを待ちわびて、ちょうど今晩結婚するのですよ)
と詠んで外に出したので(男は)
   梓弓真弓つき弓年を経て
        わがせしがごとうるはしみせよ
     (何年も経ても、私がしたように可愛がってもらいなさいよ)
と言って、行ってしまおうとしたので、女は
   梓弓引けど引かねど
         昔より心は君によりにしものを
      (あなたはどうか知りませんが、私の心はあなたに寄っておりましたものを)
と言ったけれど、男は帰ってしまった。女は、たいそう悲しくて、後に立って追って行ったけれど、追いつくことができないで、清水のあるところに突っ伏してしまった。そこにあった岩に、指の血で書きつけた。
   あひ思はでかれぬる人をとどめかね
         我が身は今ぞ消え果てぬめる
      (私のことを思ってくれないで、離れて行った人を止めることができず、
          私の身は今、消え果ててしまうようです)
と書いて、そこに死んでしまったのだった。

解説

 「伊勢物語」の成立の詳しいことはわかりません。また誰が編纂したかもわかりません。六歌仙の一人、在原業平の歌を中心にしたお話を集めたものです。

 在原業平は9世紀初頭の皇族出身の貴族で、五位の中将だったため「在五中将」ともいわれます。905年成立の「古今集」中期を代表する歌人で、情熱的なその歌風に「古今集・序文」の筆者は「心あまりて言葉足らず」とまで評しています。激情が迸るようで、言葉が足りないくらいだ、と言うのです。「古今集」での彼の歌には異様に長い詞書がついていて、「伊勢物語」との関連を思わせます。

 「伊勢物語」には業平の歌ではない歌の物語も収録されています。この話はその一つです。律令制のもとでは夫の行方が3年分らないと死亡したものとみなされ、残された妻は新しい伴侶と新家庭を築くことが認められていました。「都へ行って一旗あげるんだ!」と出かけた男が3年戻らず、一人浮気もせず待っていた妻はその間、焦りもせず静かに愛を告白してくれていた男と結婚します。その夜、前の男が帰ってきて戸を叩いた、というのです。

 おそらく一旗あげられないで、しおしおと、でも、妻の顔を見る喜びにおずおず戸を叩く夫、その声を聞き分け、夫だとわかりながら、時しもこそあれ、その夜新しい夫を迎え入れた妻の困惑、その新しい夫は一人留守を守る女を見守り、時には手助けし、彼女の気持ちが落ち着くのをじっと待ってくれた優しい男です。誰も悪くありません。みんな、善意で行動しているのです。二人の歌を見てください。「今日、新床なの」という妻に夫は「私がしたように可愛がってもらいなよ、幸せにね」と身を引いていくのです。

でも、そこに愛の悲劇が起こります。イギリスの物語「イノック・アーデン」にも似たこの悲劇は思いがけない展開を見せます。女が去っていった男を忘れられなかったのでしょう、あるいは潔く幸せを祈って去っていった男の真心に打たれたのでしょうか、女はあとを追っていくのです。優しい男との新しい家庭を捨てて。そして追いつくことができずに、清水の辺りで悲痛な歌を残して、息を引き取ってしまいます。

 「男」「女」としか書かれていない主人公たち。アノニマス(名前がない)だからこそ、普遍化されている男女の、真心を持つ三人の普遍的な愛の悲劇に昇華された愛の形がそこにあります。極端な形を取りながらも、そこには時代を超え、国境を越えた人間の愛の形が表現されています。9世紀の日本の愛の物語が、世界的な愛の物語として世界に開かれていく姿が、そこにあります。現代は、果たして、このような愛の物語を生み出し得るのでしょうか。

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