訳者序より
これは先師新渡戸博士著・英文『武士道』の訳である。 始め本書を著述せられしは一八九九年(明治三十二年)病気療養のためアメリカ滞在中であって、博士三十八歳の年である。同年アメリカにて、翌年日本にて出版せられ (裳華房)、 その後版を重ねたが、一九〇五年第十版に際し増訂を施し、アメリカおよび日本(丁未出版社)にて発行された。さらに博士の逝去後、一九三五年(昭和十年)未亡人の序言を付して研究社から新版が発行された。
明治三十二年といえば日清戦争の四年後、日露戦争の五年前であって、日本に対する世界の認識のなおいまだきわめて幼稚なる時代であった。その時にあたり博士が本書に横溢 する愛国の熱情と該博なる学識と雄勁なる文章とをもって日本道徳の価値を広く世界に宣揚せられたことは、その功績、三軍の将に匹敵するものがある。 本書が世界の世論を刺激し、広く各国語に翻訳せられたるもまた当然である。じつに博士の数多き著述の中でも、 本書は代表的傑作と称するに躊躇しない。
原著の英文はカーライルの影響の著しく認めらるる文体であって、時にゴツゴツと思わ れるくらいに簡潔雄勁であり、真摯なる行論中に諧謔皮肉を交え、言葉の綾を重ぬる等、 これに慣れざる者にとりては決して読みやすき書ではないが、しかし玩味して読む者には 心の底に徹する名文である。 私は訳出にあたり、原著の文章のもつこの持ち味を多少再現しようと試みたが、それがいかなる程度に成功を収めえたかは読者の判断に待つほかはない。訳者の補筆はすべて〔 〕をもって示す。
昭和十三年(一九三八年)七月
東京 自由ヶ丘 矢内原忠雄

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